震電にジェットエンジンを搭載するのは至極当然な事のように思えるが後退翼は衝撃波対策で作られているわけでは無いし、この時代の日本軍のジェットエンジンはドイツのメッサーシュミットMe262のジェットエンジンBMW003(推力550kg)かJumo004A(推力910kg)を模倣したネ20ターボジェットエンジンしか存在しないのでこれを1機後部に搭載しても出力的には2000馬力級レシプロとそう大して変わらないように思える
初期のジェットエンジンはスロットルに対して反応が鈍く急激な操作はエンジン破損の原因になり厳禁である
そのため一撃離脱の攻撃に特化した戦法で戦果を上げていた
燃費の悪いジェットエンジンは燃料も相当な量になる
重量増の震電改の運動性能はもっと直線的なものになったのではないかと思う
ジェット機はプロペラ機のようなジャイロモーメントは無いので捻り込みによる旋回はできないため方向舵でねじり込むが機体の強度がそれほど高くない震電ではおそらく胴体がねじれて分解する可能性がある
ドッグファイトが見せ場の最終回だったが空戦は先に見つけて仕掛けたもん勝ちなのだ
あとはとっ散らかってバタバタするだけになる
高い高度から高速で接近して目一杯機関砲弾を撃ち込んだら全力で離脱する
そうやって少しずつ戦果を挙げたものが生き残り撃墜王と呼ばれるのだ
第二世界大戦当時機関砲の射距離は50mぐらいだそうだ
この距離でコックピットやエンジンに約15発程撃ち込んで撃墜する
射撃中は高いGを掛けてはいけない
何故なら機関砲への給弾が上手くいかない事があるからだ
トリガーひとつ引くにも操縦桿にあれば力を込めて引いてしまうと機体も動いてしまい弾が当たらない
絶えず視線を動かして敵を見張り計器など見ずにエンジンの操作と機体を操縦する
複雑な機構と満足で無い整備、故障したままの出撃でも戦場で戦果を挙げ生き残る
良き戦闘機パイロットとは冷静な上にも冷静であり職人のような緻密さで空戦域を把握して戦いを組み立てて戦果を挙げ生き残ってきた者たちだといえる
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